カテゴリー : 2010年 6月

高校卒業まで住んでいた桐ヶ丘にて郷愁に浸るの巻

今日は、プライベートの用件があり、会社を休みました。
(本当は、一日休みたくはなかったのですが、ウチの会社、フレックスタイム労働制とか裁量労働制が廃止になってしまったので、やむなく・・・です。)

で、空いた時間があったので、高校卒業まで住んでいた団地街「桐ヶ丘アパート」に行って、郷愁に浸ってきました。(東京都北区にあります)

あわせて、自分が通った保育園、小学校、中学校の前を通り、写真に納めてきました。

住んでいた団地が取り壊され、近代的な団地へと変貌したのは知ってはいたのですが、改めて見てみるとその変貌ぶりにちょっとびっくりしました。引っ越してから25年以上経っているので、変わるのが当たり前なんですけどね。

また、卒業した小学校、中学校ともに統廃合の結果、校名が変わっていたのが残念。校歌も変わっているんだろうなぁ。

よかったのは、卒園した保育園の周りで写真を撮っていたら、保育園の先生に呼び止められ、卒園生だと話すと、園内まで案内され、色々みせてもらえたこと。
(最初は、不審者だと思われた模様…)
お昼寝の時間に寝たパイプベッド、小さなプール、1回も滑ったことがない非常滑り台など、ところどころ記憶の片隅にあったものが蘇ってきました。卒業写真も飾られており、思わず卒業写真の写真を撮ってしまいましたよ。

うーん、時代は変わる。The Times They Are A-Changin’ ♪ (Bob Dylan 風)

団地のスナップ

紫陽花が咲いていました。

私が子供の時からあった団地も数多くありました。懐かしい。

私が住んでいた団地は取り壊され、今風の作りの団地に。いいなぁ。

昔の地図発見。私はW-32に住んでいました。左下です。

卒園した「日の基保育園」です。変わっていない。

園内に入れてもらいました。

園内の廊下に私の卒園写真も飾られていました。さて、私はどこにいるでしょう?(笑)

統廃合の結果、「桐ヶ丘小学校」という校名が、「桐ヶ丘郷小学校」という校名になっていました。校庭には芝生がありました。校舎自体は昔のままのようです。

統廃合され、「北区立北中学校」が「北区立桐ヶ丘中学校」という校名に。すっかり建て替えられていました。

団地のシンボル「給水塔」です。となりの団地は、E47。当時は超高層団地だったなぁ。

小学校校門すぐそばの文房具屋さん。よく行った。店員さんが兄弟だった記憶があります。閉まっていました。残念。

よく行った駄菓子屋さん。まだやっていた。

さっきの、文房具屋さん、駄菓子屋さんが入っている、「桐ヶ丘商店街」。寂れてしまったなぁ。

よく行った「中央公園」の滑り台。40年ぐらい前からほとんどそのままだな。

老いた父親

この頃、頻繁に父親の入院している病院に行っている。会社の帰りだったり、週末だったり。
今は、酸素マスクを付けて、ろれつも回らなくなってきており、反応も鈍く、起きている時間が極端に短い。
俺が小さかった頃は、多趣味でダンディだった父親の老いの姿を見るのはつらい。
父のベッドの周りをみると、同じような症状の老人が横たわっている。
客観的にみると、その人達に待っているのは、生物学的に当たり前の老衰であり、死である。
でも、父親に話しかけると、それなりの反応をしくれて、時には笑顔を向けてくれるときがある。
その表情を観ていると、愛おしいし一日も永く生きて欲しいと思う。
ベッドの上で眠っている父親の表情を見ながら、自分が子供だったときの頼もしかった父親の表情を重ね合わせていたりもする。
当たり前だが、自分もやがてこのような姿になるであろうことは、想像に難くない。その時、俺の子供たちはどのように感じるのだろうか。
無常観が漂う。

さて、今夜は、ワールドカップを見て、気分を紛らわせようか。